小学24年生 不安編

注)超とりとめのない文書ですが、『不安』というテーマをリアルで、あまり脳みそ使わず思うままに、吐き出してみました。

アラサーとは、基本30歳手前の20台後半を指して使う言葉である。
30歳になったら、文字通りそのまんま30歳。
無理繰り横文字にするとジャスサー。

小学生を6年で終わらせず『小学○年生』計算したら、ジャスサーは小学24年生。
小学生6年間は鬼のように長いが、その4倍。
気づけばサザエさんや野原みさえより歳上になってしまった。
小学24年生同級生は、結婚してたり子供がいたり、サザエや野原みさえと同じようなことできている人も多い。

当の私は今のところ俄然独身邁進中だが、彼ら彼女らと比べて焦り、不安もちょいちょいある。
20代半ばの友人の結婚式はほぼ祝福の気持ちでいっぱいだったのだが、アラサー結婚式になると1/4くらい焦りを感じるようになった。これが30代半ばだとまた違う気持ちなのだろうか。

小学24年生の私は、小学1年生の私と比べ何が変わったのか?
働いていること、一人で暮らしていること、お金を稼ぎぎ自由に使えること、童貞捨てたこと、彼女作るまでがなんとなくわかったこと。うん、こう考えるととても変わっている。
これがイコール大人になったということでいいのかな。

周りの人、特に同世代と比べたとき発生するネガティヴな感情は小学1年の頃から、内容と形を変えてるだけで同じような気持ちの繰り返しだ。
代表的な所で言うと、テレビゲームが弱い、球技下手、イケメンじゃない、彼女いたことない(いなかった)、学歴、年収、独身。。
よく人間飽きないなと思うが、忘れる機能がきちんと機能してしまっている結果なのだろう。
ただ、多少この気持ちにも経験を積んで劣等感が減ってきた・克服してきた感と、そもそも慣れてきた感がある。
この気持ちをよりコントロールできるようになるのが、自分の中の一番しっくりくる『大人になった』な気がする。

多分このコントロールは並大抵ではないので、ベースとして大きな不安を抱かないような環境にいた方がよい。
大学時代の思い上がりで自分はある程度タフで優秀なのでは?と思ったが大きな勘違いだった。ただ環境が良かっただけ。社会人になって思い知った。
自分にとって居心地のよい環境で精神衛星を保つことは大事だと思う。マジで。

あと、最近感じ始めた一つの不安がある。
それは不感症化の懸念である。これはつまり、経験が増えた、慣れてきたゆえ、感情的になるシーンが減ってくること。
イコールシンプルにつまらないことが増えたとも言える訳で。
子供の頃よりお金があってできることの幅が増えたはずなのに、なんかこれ悔しい。
せっかくなので小学1年生の頃の私に羨ましがられるようなワクワクをできるだけ濃厚に日々積み重ねていきたい。というのが理想。
感情的になれること、自分の五感を満足させることができるものを日々の生活で探している。
本、漫画、映画、ドラマ、たまにヒットがでてくるととても嬉しいけど、ヒットを発掘するまでの(私的な)駄作積み上げ作業がなんともめんどかったりもする。

今んところ間違いないなと思うのは、自分の好みにあった飯屋を探すこと。
これは胃袋を通して、脳が有無を言わさず幸せホルモン?を出してる感がある。
最近自分の好み、選球眼(選食眼?)はかなり分かってきたつもりなので大きく外すことは以前よりだいぶ減った。

あとはブルーハーツの音楽を聞いたときのなんとも言えぬ感動感とか。
私は思ったより言葉というのが好きみたいで、甲本ヒロトの超高センスワードは音楽とあの真っ直ぐさも相まって心によく染みる。
人により色んな不安があるだろうけど、あの全て肯定してくれる感と優しさたるや、他になかなかない気がする。

なお、コロナについては元来の?ノーテンキさで、不安はあるけど一時的なものというか、そこまでではない位置付けである。

結論も何もないので、とりあえず不安編については以上。

下記以下、一応補足。
かつて濃かった
・彼女いたことない(いなかった)劣等感
・仕事の不満、不満
・お金の不安、年収の劣等感
は、彼女が累計何人かできたこと、及び2度の転職でほぼクリアになっている。
日々の仕事がつまらない訳ではない。自分の性格上、つまらないと思う仕事を長くやっていくのは多分できないことを悟った。
今は結構面白いと思う仕事で、大きく不安にならない、ある程度満足レベルの給料は貰えている。
これはとても有難い事だと思う。
基本、不安に焦点を当てて正直に書いてみた訳であって、仕事やプライベートに全然満足していないという訳ではない。

言ってしまえばある程度幸せ目の普通である気すらする。
そんな中にすら潜む、人生の永遠のテーマになりうるであろう不安をあぶり出してみたのが今回です。