「うっせぇわ」へのうっせぇ感想

「うっせぇわ」

なぜこの曲が流行ったのか(流行っているのか)。
キャッチーなメロディとフレーズが良かったのか。
10代~20代半ばの世代の気持ちを代弁するような歌詞だからなのか。
反面、世の多くのいい歳こいたおじさん達の気持ちを逆撫でするような歌詞だからなのか。

これから、個人的なこの歌に対するネガ意見を書いていきます。
なので、「うっせぇわ」好きな人は今すぐ離脱してください。笑
もちろん、好きも嫌いも勝手にすればいいし誰かを攻撃するつもりもありません。
だが、なんとなく個人的に引っ掛かる点から自分の気持ちを書いていこうかなと。

まず、この歌は個人としての共感はある。
ただ、他人と自分を分断するのみの歌詞。
応援とか励ましとかがなく、救われる感が全くない。
優しさも感動感もない。
それこそ個人の問題だからほっといてくれ、ということなのか。

「うっせぇわ」のディスリ論のひとつに
『「嫌なこと、色んな我慢を乗り越えて、頑張って働いているおじさんを否定してるっぽい歌詞」だから、おじさん達世代的に気にくわない』
というのがあるらしい(筆者ネット調べ)。
これは多少分かんなくもない。

けど、これはしょうがない。
いわゆる「最近の若いやつは」というのは大昔から変わらずずっとあるから。
また、反対もしかり。

で、やはり大事なのはそこじゃない。
励まし、優しさ、感動。
ここがこの歌には全くない。驚くほどない。
また、そんな歌が流行ることが、なんかちょっと世の中恐くて寂しい気すらする。
というのが自分の中に刺さらない理由&違和感の正体。

で、これらを兼ね備えるもの、、
それはブルーハーツである!(どんな展開。笑)

ブルハの歌詞は大人を否定し社会を否定。
だけど一個人を応援してくれる。
優しさと励ましと感動がある。
こんな時代だからこそブルハ聴こうぜ!と思う。

一応注釈すると自分は全然ブルハ世代ではないけし、回顧厨でもない(つもり)。
ブルハには、シンプルに世代と言語を越えた共通する素晴らしさがある。
と思っている。
もはや、人生の大事なエッセンスは「ブルハの歌詞」と「仏教の教え」で大体カバーできる。と最近割と本気で思っている笑
(これは機会があれば別の記事で書きます)

改めて私の結論としては、
「うっせぇわ聴くんだったらブルハでいいじゃん」
なのである。

以上、「うっせぇわ」へのうっせぇ感想でした。